余り期待せずゴジラの頭につく ”シン” の意味にも思いを巡らせず、しかしながらゴジラ世代としては公開早々「シン・ゴジラ」を観た。2Dで十分、他のネットからの感想に如かず、いろいろな角度から面白い、素晴らしい傑作でした。
シン・ゴジラの ”シン” については、<新>、<真>、<神>などと意味を想像させるようだけど、出だしのゴジラの映像がすべてを語っていた。<秦>、もしくは<清>そう、この脅威は、南沙諸島はじめ至る所で不当な領土侵犯による各国の脅威となっているあの国をイメージしている(に違いない)。
開始早々に姿を現すゴジラはがっかりするほどマヌケな姿で、どうなってしまうんだろうという不安を与えたあと進化してゴツイ、それらしきゴジラになっていくのだけど、進化途中(第二形態という)のマヌケゴジラを見た瞬間、かの国の獅子舞を思い出さざるを得なかった。
第二形態のイラスト。映画のマヌケゴジラとちょっと違うが、(画像がどこにもない)まん丸の目玉、独特の赤基調の体毛、ウロコ模様の表皮、そう獅子舞からの化身。
こんなに可愛くはないけど、第二形態ゴジラのイメージはこれそのもの。
映画のサブタイトルに「現実(日本)VS虚構(ゴジラ)」とあるように、ゴジラは日本の国防にとっての対外的脅威のひとつのイメージに過ぎない。
映画は根底を流れる核への批判とともに、わが国の官僚機構、文書主義による有事の際の対応力の無さ、先の戦争の戦勝国が依然支配する国際的な国家の位置づけ。どうであれ全員賛成でないと動けない国連安全保障理事会のルール等々をシニカルに指摘し、日頃の疑問をつぎつぎと突きつけてくれるに至っては爽快感すらあった。
そういったマジメな訴えの傍ら、さすがエンターテインメント性も忘れず、日米の軍事兵器のオンパレードも素直に楽しめた。
米の無人攻撃機プレデター。当然ゴジラには通用せず、最後はオトリとしての お役目。
新しい形のゴジラの迫力ある映像、音楽も確かに一流だが(細かいところでは、何コレはいくつかあるにせよ)、ゴジラがスクリーンに映らなくとも、例えばシルエットでの脅威のイメージだけでも十分成り立つ作品だなぁと思いながら、あっという間の二時間を楽しんだ。
映画の興奮冷めやらない中、わが国の防衛を慮る気持ちから急に、伸びた髪を切り揃えたい衝動に駆られ、こんなサイトに触れお世話になった。楽して頭髪を整え、帝国軍人の子孫として自らを律することができ(単純にすっきりしただけかも)、大変助かった。近くでリーズナブルな理美容室を探せるサイト”かみきろっと”ありがとう。
ところで、外の画像だけど今回のシン・ゴジラの大きさをビジュアルに表現している画像を発見。
シン・ゴジラ 全高118.5M。牛久大仏、120M。勝った。