美しいものだけが、機能的である・・・って言うけど?

過日の新聞記事で、日本が生んだ大建築家:(故)丹下健三氏の言葉「美しいものだけが、機能的である」が取り上げられ、賞賛されていたが、建築業界にも少しく関わっている、ひねくれ者の小生としては、大変生意気、僭越ながら、寒々とした気持ちになったものである。
小生は、幼少の頃(あったのだ)飛行機を見てその格好良さに惹かれ、何故こんなに思うのかを問うていた時期、「機能的なものは、美しい」という言葉に大いに納得し、それを自分の軸の一つにもしてきた。
何をもって”美しい”かは、主観によるものであろうが、”機能的”は多分に客観性を伴うはずで、美しいという抽象的なものに、何だか機能的というものも敢えて抽象的にして、当て嵌めているようにしか思えない。
こういった意地悪な考え方には、一つの訳もあって、建築業界に身を置く人には相当数経験があることと思うが、大建築家(著名設計者と言った方が正しいか)が設計したした建物は、確かに意匠的には奇抜であり、未来志向であり、それでいて現代の美しさに適っているものが多い。だが意匠的には、なのである。この設計を実現するため、構造設計者や設備設計者は並々ならぬ苦労の上に苦労を重ね(そこに進歩もあろうが)、おそらくは効率性や経済性を大きく犠牲にしてこの意匠を支えていることが極めて多いのである。ましてや、その後のメンテナンスに関しては、新築時の苦労と同等かそれ以上のものを費やさねばならぬことが、これもまた極めて多い。
小生はここで、そういった非効率や非経済な建築物を否定するものではないし、そんなハンディキャップを背負っても、美しい建物が都市景観等において、必要かつ有用であることも認めているものである。だからこそ言いたい、「美しいものだけが、機能的である」は人為的に構造物を作る立場にいる人間が発するべき言葉ではない、と。ちょっと建築業界に関わっているからゆえ、ついつい構造物に特化した論になってしまったが、頭を冷やして考えれば、また前言との矛盾も恐れずに言えば、「自然界がつくりだしたものは美しい、そして機能的である」。ただ、これも、人間を自然界の外側に位置付ける考え方に基づくことになってしまうので、小生の世界観とはチト違うのであるが・・・

まぁいいや。丹下氏の言葉に反応して、前半の件(くだり)を喚きたかっただけだから。すっきりしたから。

でも、最も効率性、機能性を重んじて作られている軍事関連の戦車も、戦艦も、軍服も、みーんな美しく感じるのは、われわれ男の子に刷り込まれている、闘争肯定遺伝子のなせる業なのだろうか。

黄金比というのがある。人が最も美しい心地よいと感じるタテヨコ比(1:1.61803・・)であり、古くピタゴラスの正五角形の分割法に由来するものらしいが、ずっとテレビの画面や雑誌、写真のバランスに使われてきた。ただし、これが近年、テレビでは何故か横長になったり、雑誌なども奇をてらってか、バランスを敢えて崩すようなことが散見されるにいたっては、美しさも機能性も、目先売れる、というものの犠牲になりつつあるのかと、いらぬ心配をしている。

蛇足ながら、息抜きにポケットジョークをひとつ。『旧ソ連での話。ある男が街中を「スターリンは馬鹿だ、スターリンは馬鹿だ」と大声で言い歩き、官憲に逮捕、起訴された。罪状は”国家元首侮辱罪”ではなく、”国家機密漏えい罪”であった。』