身寄りの無い方の、没後の相談に乗ることが多い。富と名声を得、幸せな老後を過ごしつつも、親兄弟は既になく、子供にも恵まれなかった方の心配は自分の亡くなったあとのお世話。
葬儀までは承れる仕組みはあるとしても、供養もされない淋しいお墓では報われない。そんな方のために永代供養を受けるお寺は多くあるが、私の知るところその料金の高さと、心のこもった供養とのバランスに納得できるところは少ない。
そんな中あるツテで出会った、修善寺の法住寺は是非お勧め?です。
供養塔
修善寺の町から少し山に分け入った、その佇まいもさることながら、コストパフォーマンス(13万円~。ちょっとしたお寺だと百万単位以上が普通です)も本堂の設えも、親子で住職、副住職を務めての法要も実に心こもり謙虚で分かりやすい。『寿量の会』という明朗会計組織で、高邁な世界観をもっておられるが、この住職がいい。
住職
謙虚、明快。心に残ったお言葉をいくつか。
「法華経を唱えているが、実は私もよく分からない。しかし唱えることで近づける」
「大変とは、いやなことをする様ではなく、大きく変わるチャンスをいただいている様」
「如来は仏陀のことではなく、自分にとって仏のようにありがたい他人のこと」
写真は撮れなかったがご子息の副住職がまた格好良くてさわやか。もちろん坊主(頭)だが、サーファーだと教えてくれた。法住寺の宣伝になってしまったが、私自身は幸い身内がいるのでこういった永代供養のお世話にはならない身だが、依然モットーとして、葬式無用、戒名不要、お墓も不要、直葬、手元供養派である。