お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい

偶然出会った「詩」を見て、大反省です。

お母さん

かなり有名な、母と子の互いへの詩の本ですが(知らなかった)、脳性マヒの男の子が、母に宛ててひねり出すように言葉を紡いだ詩と、その詩を詠んだ母からの返事、そしてまた、母への返事。

感動ものはもちろんですが、大反省は脳性マヒ=知的障害(作詩能力など無い)と、無知にも思い込んでいたこと。脳性マヒの子供さんを見かけることはあるも、本人にはその意識がないだろうと勝手に思い込んでいたこと。

脳性マヒとは、運動機能の障害であってイコール知的障害などではないこと。特に アテトーゼ型と分類されるものは、知的には正常であることが多いこと。己の無知、無理解に、大反省です。

その詩を掲げてみます。

「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」

<山田康文くんから母信子さんへ>

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわの子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれてなかったら

<これを詠んだ信子さんから、康文くんへ>

わたしの息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
”重くはない”と聞いている
あなたの心がせつなくて

わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを 見守って
お母さんは生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり

<この詩を受け止めるように康文くんから>

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

本やテレビやコンサートで披露され、多くの感動を呼んだ康文くん。15年の短い生涯を閉じたとのことです。脳性マヒの康文くんがどうやってこんな詩をつくれたか、ほか詳細は、ここに

大反省しながらも、いろいろ考えさせられる出会いでした。

反省