”大本営陸海軍部午前六時発表 本八日未明 帝国陸海軍部隊は西太平洋において アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり”(昭和16年12月8日)という、有名な大本営発表にて始まった大東亜戦争だが、緒戦はパールハーバーではない。
真珠湾攻撃に際して、事前の宣戦布告を在米日本大使館に送ったにも関わらず、送別会か何かで米政府側に届かないまま、”卑怯な奇襲攻撃”とされてしまったのは周知の事実だが、この攻撃の数時間前に、マレー半島で対英戦は始まっていた。
マレー作戦は、資源豊富なオランダ領インドネシアを攻略するため、その通り道であるイギリス領マレーからシンガポールを落とすための戦いであり、史上まれにみる快進撃、大勝利を収めたものであるが、この戦いにおいては奇襲こそがその命運を分けることから、真珠湾攻撃とは違ってもとより宣戦布告の意志はなかった。(この辺が、海軍と陸軍の違いか)
数年前シンガポールを訪れたが、閑静な官庁街の近くの公園にこんな記念碑があったが・・・もっとも真珠湾攻撃にしたって、アメリカの挑発にまんまと乗せられて、アメリカは事前に十分情報を得ていたにも関わらず、国内の戦意高揚のために”わざと”叩かせたのも有名な話である。ちゃーんと空母は避難させていたし。
アメリカという国は、国益のためなら戦争を容認させる世論を作るためなら、一部の国民や財産の犠牲など、ためらいもなく払う国なのである。9.11の世界貿易センタービルへのテロもまた、しかりである。
国益には軍需産業の隆盛のための兵器生産もあるが、どうやら弾薬には賞味期限があるらしく、一定期間内に使わないと、ダメになってしまうもので、いつの世でも、戦闘地域は必要なものらしい。
平和国家日本でも、自衛隊関係者は実弾演習(富士の裾野とかでやっている)は、新旧の弾薬の入れ替えと普通に話してくれる。
ところで、大東亜戦争という言い方だが、わが国での呼称はこれが正式名称とされていたものの、終戦後、アメリカが(日本の崇高な意思を想起させる)大東亜共栄圏に繋がる表現として忌諱し、無理やり太平洋戦争と改めさせ、日本に定着させようと図ったものである。正しくは、大東亜戦争なのである。