記録的な大雨で堤防が決壊し、常総市の田畑や民家に大きな被害をもたらした鬼怒川。おどろおどろしい名だと新聞にもあったが、養蚕ルートをつなぐ”絹川”とも言われた川は、やはり怒れる川だったのか。被災二日後の常総市の惨状に遭遇した。
写真中央が水没して湖のような居住地、田畑。
平将門で有名な常総市は南北に二本の河川が貫く。東に小貝川、そして西に鬼怒川。交通規制で、たまたま小貝川堤防に導かれ、その惨状を目の当たりにした。
小貝川堤防に避難した自家用車。堤防の左に増水した小貝川が流れるが、決壊はしていない。この堤防の右手3キロほどの鬼怒川が決壊し、右下の軽ワゴンの屋根くらいまで水が来たことが分かる。
すぐ手前の小貝川の氾濫は心配もしたんだろうけどそこはセーフで、まさかあんな遠くから水が来るとは。
写真にはとても撮れなかったけど、この左手では家の人たちが黙々と後始末を。
常総市の1/5以上品川区と同じくらいの面積が被災し、未だ停電と断水が続いているという。夜はどうなってしまっているのだろう。でも行きかう住民の方々の会話を聞いていると、怒りや憤りではなく、極めて冷静、ほのぼの感すらある。さすが日本人、茨城人。
亡くなった方々のご冥福と行方不明の方々の朗報と、残った方々の生活の一日も早い回復を胸に思い、常総市を後にした。