鬼押出し園 再訪

20年ぶりに鬼押出し園を再訪。天明3年(1783年)の浅間山の大噴火がもたらした噴石、溶岩からなる奇景が、年月を経ていかが変わっているかと訪ねてみました。

西武の鬼押出し園

世にも有名な西武VS東急の箱根山戦争の浅間山麓版で、先に軽井沢に手を付けた西武が開園したのがここ鬼押出し園。西武の堤康次郎が政治力にものを言わせ国有地80万坪の払い下げを受けて開園。西武グループ弱っていますが今でも経営はプリンスのようです。

天明の噴火の犠牲者を弔う、上野寛永寺の別院も健在。

てっぺんにある本堂。

欄干からは奇岩越しに軽井沢高原が見渡せます。(晴れれば)

以前からあったのかどうか、園内いたるところにビニール傘が用意されており、雨がパラつけばお借りして移動、移動先で返却(もちろん無料)できるので便利でした。

これも園内に数か所みかけた休憩所。設置の方向からシェルターの役目も担わせているのかも知れませんが、万一の際はちょっと心配。

20年を経て

20年前の記憶をたどってみると、当時はもう少し岩だらけだったような。人工的に植栽しているとは思えないので、岩石と岩石のわずかな隙間から、植物の強い生命力が新たな景色を作っていたように感じました。

もう一つの鬼押出し園

西武の鬼押出し園から遅れること30年、1963年にライバル東急が長野原町と手を組んでもう一つの鬼押出し園、鬼押出し・浅間園を開園します。今回こちらには行けなかったのですが、立派な浅間火山博物館があったりで楽しそうです。

 

それにしても、西武のピストル堤こと堤康次郎と、東急の強盗慶太こと五島慶太の、個性の強い両総帥の観光地争いは、観光地そのものより楽しいんです。

そして二代目も永遠のライバルでした。