素晴らしき日本の日本語、漢字からカタカナ、ひらがなに変遷しながらそのすべてを使い分け、これにアルファベットまで混ぜるとなっちゃ、世界の公用語(フランス人はフランス語と信じている。因みにオリンピック会場での表示は、仏語、英語、開催国語、が必須らしい)や、商業の共通語(英語)になれるわけがない。難しすぎる。
でも、だからこその美しさ、ワビ、サビの微妙な表現が可能な、一流語なのだ
その日本語が乱れていると言われて久しい。誤用を正すいくつかの本も多く出版され、心ある語学者たちが懸命に守ろうとしているが、テレビの馬鹿芸人たちが発する誤用丸出しの日本語の氾濫が、誤用の定着を招いている。アナウンサーでさえ、聞き捨てならぬ誤用を公共の電波に乗せている。
言葉は生き物であり時代とともに変わっていくものという側面はあるが、守り守ってそのうえで合理的に変わっていくならまだしもである。
キモイ、何気に、やばい(使う場面違いの)、超 + 形容詞、こんな反吐が出そうな言葉を、小学校の先生までが使えばそんな子供が育ってしまう。
自分なりに気を付けて誤用を避け、ことあるごとにそんな確認をしている中、自省すべき誤用に気付き以下に列記する。
・鳴呼(ああ)ではなかった、嗚呼が正しい。
・悪どい ではなかった、灰汁どいが正しい。
・汚名挽回 は論外だけど、汚名を晴らすではなかった、汚名を雪ぐが正しい。(晴らすのは、恨み)
・ご清聴ありがとう(本人)、と、ご静聴願います(司会者)の使い分け。
・松たか子の国家斉唱は誤り、国家斉唱は二人以上で謳う。(神田さやかとならOK)
・憮然は怒っている様ではなく、失望、落胆、不満の様子。
以上、最近の自省。
テレビのスポーツ番組を観ながら、常々感じる「げきを飛ばす」という表現。
激励を飛ばすと言うニュアンスで活を入れるようにアナウンサーも平気で使っているが、まさに誤用の定着。
本来は「檄を飛ばす」で、古来、決起を促すため自分の主張を木札(木檄)に書いて、広く人々に知らせ、同意を求めることなのである。NHKでも誤用を聞いたことがある。
反対に、ゴルフ中継で(このホールは)難易度が高い、という普通は違和感のある表現は間違っていないことをつい最近知った。難易度は、高低差のように大きい、小さいものかと考えるが、限定的に使えるらしい。
難易度の易は、意味を持たない言葉として、難を強調するためにおかれたもので、こういった使い方を帯説と言って、恩讐の彼方なんかもその類とのこと。
もう少し分かりやすい説明はこちら。
一部のアナウンサーでは、”この間違った誤用”を勘違いして、「言い方を変えている」とか。ちゃんと勉強しなさい。
日本語、難しいけど、素晴らしい。