極東国際軍事裁判でA級戦犯とされ死刑判決を受け、昭和23年12月23日(今の天皇、当時の皇太子の誕生日にぶつけた)に、巣鴨拘置所で絞首刑となった、7名のいわゆる戦争指導者は、靖国神社に合祀されているが、実は遺骨はここにある。松井石根、東條英機、広田弘毅、土肥原賢二、木村兵太郎、板垣征四郎、武藤章の7名である。
そもそも靖国神社に祀られている英霊は、遺骨ではなく魂のような形で祀られており、どなたの遺骨もあるわけではない。(が、中国、韓国はしきりに干渉する、まぁ国内の不満を外に向けるためでもあるが)
前記7名のうち松井石根(いわね)以外は、当時つくられた罪状「平和に対する罪」を着せられ、松井石根のみ、かの「南京大虐殺」の首謀者として、断罪されたものである。
「南京大虐殺」には諸説あり、今の中国の主張は30万人が死んだとするが、当時南京の人口が30万人程度だったことを考えても無理があるし、冒頭の極東国際軍事裁判での中華民国代表の示した死者数は2万人、その後4万3千人となり、いつの間にか30万人。???
話がそれたが松井石根は、日中戦争ののち日中双方の戦没者を祀るために、熱海に興亜観音を建立している。その観音は真っ直ぐに中国の方を望んでいるのだ。そういう軍人が、通常の戦闘行為を超えて無辜の民を万の単位で殺すのであろうか。
7名の遺骨と興亜観音に話を戻す。
巣鴨拘置所で絞首刑となり、火葬された7名の遺骨は日本人に英雄視されぬようアメリカ占領軍の手で混ぜられ廃棄されてしまったが、翌24日心ある付き人と火葬場の責任者の配慮で、ひそかに一部のみであるが回収され、その後ほとぼりを覚ます数年と場を変えたのち、ここ興亜観音に祀られたのである。
ここを訪れると細い山道の奥に観音様や石碑があるのだが、行くたびに小っちゃいおばあちゃん(住職なのだが)が懇切丁寧に案内をしてくれて、茶菓までいただけてしまう。過激派による爆破事件をくぐり、日本人の来し方を考えさせてくれる、熱海の隠れた名所である。